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横浜地方裁判所 昭和63年(ワ)2383号 判決

原告

田中一雄

田中ヒロ子

右原告両名訴訟代理人弁護士

海野宏行

石川惠美子

影山秀人

坂本堤

被告

國原正光

神奈川県

右代表者知事

長洲一二

右被告両名訴訟代理人弁護士

福田恆二

被告神奈川県指定代理人

阿久沢栄

外四名

主文

一  被告神奈川県は、原告田中一雄に対し、金一四三〇万円及び内金一三〇〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告神奈川県は、原告田中ヒロ子に対し、金一四三〇万円及び内金一三〇〇万円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合に対する金員を支払え。

三  原告らの被告國原に対する請求及び被告神奈川県に対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告に生じた費用の五分の二と被告神奈川県に生じた費用を同被告の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告國原に生じた費用を原告の負担とする。

五  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告らに対し、連帯して各金三五七四万〇三二〇円及び各内金三二四九万一二〇〇円に対する昭和六二年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、神奈川県立伊勢原養護学校(以下「伊勢原養護学校」という。)に在学中であった原告らの長男田中敦(以下「敦」という。)が、昭和六二年四月一五日、同校の水泳授業中に溺死した事故(以下「本件事故」という。)につき、原告らが、右事故当時敦に水泳指導をしていた被告國原教諭に対しては民法七〇九条に基づき、同校の設置者である被告県に対しては、主位的に安全配慮義務違反に、予備的に国家賠償法一条にそれぞれ基づいて、損害の賠償を請求した事案である。

一争いのない事実等

1  当事者等

原告らは、本件事故当時伊勢原養護学校高等部二学年に在学中であった亡敦の両親である。

被告県は伊勢原養護学校の設置者であり、被告國原は本件事故当時同校の教諭として敦の学級担任であった者である。

敦は、昭和四五年九月二二日生まれの男子で、原告らの唯一の子であるが、言葉が発達しないということで三歳ころから児童相談所に通い、五歳ころに自閉症との診断を受け、本件事故当時まで東海大学医学部付属病院精神科外来で指導を受けていた者である。

2  本件事故の概要

伊勢原養護学校は、昭和六二年四月一五日、同校の体育授業の一環として株式会社レオスイミングスクールの経営するプール(長さ二五メートル、幅一三メートル、水深約一メートル、以下「本件プール」という。)において、高等部生徒に対する水泳訓練を行った。当日の敦の指導は、被告國原がマンツーマン方式で午前一〇時五〇分ころから約一〇分間(〈書証番号略〉、被告國原本人)と、午前一一時三〇分ころから約一五分間の二回行ったが、二回目の指導の終わり近い午前一一時四五分ころ、敦は水を吸引して意識不明となり、救急車で神奈川県立厚木病院へ搬送され、手当てを受けたが、同日午後七時一一分死亡した(死因は溺死)。

二争点

1  被告國原は、個人として民法七〇九条の不法行為責任を負うか。

2  被告県の責任原因として、主位的に安全配慮義務違反を判断すべきか。

3  本件事故の態様

原告らは、敦が混乱状態に陥って騒いだことから被告國原がこれを鎮めようとして故意に敦の頭部を水没させたため、敦が水を吸引したものであると主張し、被告らは、被告國原が敦の足の動きに注目するあまり敦の呼吸が確保されているかどうかの確認を怠ったため、訓練により疲労した敦が水を吸引したと主張する。

4  被告國原の過失内容(被告らは被告國原に右3後段の意味での過失が存することは争わない。)

5  損害の発生と数額

(一) 逸失利益

敦の死亡による逸失利益の算定に当たり、原告らは全労働者の平均年収額を基礎とすべきであると主張し、被告らは敦の資質及び進路希望等を考慮したうえ、敦が就職する蓋然性の高い地域作業所の平均年収額にしたがって算定されるべきであると主張する。

(二) 原告らが日本体育・学校健康センターから受けた災害共済給付金一四〇〇万円を損害から控除すべきか。

第三争点に対する判断

一争点1(被告國原の個人責任)について

前記第二の一の2及び後記三、四のとおり、本件事故は、伊勢原養護学校における公権力の行使である体育授業中に、被告國原教諭の職務の執行に関する過失に基づいて発生したものである。このように国家賠償法一条が適用される主要事実が主張・立証された事案においては、同法の趣旨に照らし、原告が国又は公共団体に対し損害賠償を請求するに当たり、どのような法的構成を選択するかにかかわらず、当該公務員は右過失を根拠に民法七〇九条に基づいて個人としての責任を負わされることはないと解すべきである。従って、被告國原に対する原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

二争点2(被告県の責任原因の判断順序)について

原告らは、被告県の責任原因として、主位的に安全配慮義務違反を、予備的に国家賠償法一条を主張しているが、右両責任は両立する関係にあるから、法律上は単なる選択的併合の主張にすぎない。しかるに、原告らが被告県の責任原因につき、右のとおり順序を付した主張をする目的は、被告國原の個人責任を追及することにあったことは本訴の経過上明らかである。

しかし、被告國原の個人責任が認められないことは右一において判断したとおりである。しかも、安全配慮義務違反に基づく請求は、国家賠償法一条に基づく請求と異なり、債務不履行に基づく損害賠償責任としての性質上、慰謝料請求権者は原則として契約ないしこれに準ずる法律関係の当事者である被害者本人に限られ、遺族固有の慰謝料請求権は認められず、また、右損害賠償責任が期限の定めのない債務となることから、事故の発生日から履行請求の日までの間の遅延損害金も発生しないことになる。その結果、原告ら固有の慰謝料請求及び遅延損害金請求の一部は棄却されることとなる。これに反して、原告らの被告県に対する本訴請求につき、安全配慮義務違反に基づく請求の方が国家賠償法一条に基づく請求よりも原告らにとって格別有利になる点は見当たらない。してみると、本件においては、主位的に国家賠償法一条に基づいて被告県の責任を判断する方が、かえって原告らの合理的な意思に副うものと解される。

そこで、以下、国家賠償法一条に基づいて被告県の責任を判断する。

三争点3(本件事故の態様)について

前記第二の一の事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人山蔭、被告國原本人)によれば、以下の事実が認められる。

1  伊勢原養護学校高等部では、昭和五七年以来全生徒を対象に体育授業の一環として年間二〇回前後民間のプールを借り切って水泳訓練を実施してきた。昭和六二年度も、四月九日開催の学部会において、①水中で自己の安全を確保し、水に慣れるとともに、能力に適した課題をもって、クロール、平泳ぎ、逆飛び込みなどの技能を養い、続けて長く泳げるようにすること、②プールの使用細則を守ること、清潔に注意することなどの水泳の心得を理解させ、日常生活に生かすことができるようにすることを目的に、同年四月一五日から一〇月二八日までの間、合計一九回にわたり、本件プールにおいて水泳訓練を行う計画を立てた。右水泳訓練においては、生徒をAないしFの六班に分けた上、泳力が未確認な一年生全員及び二五メートルを自泳できない二、三年生を対象とするAないしC班については生徒一人に教諭一人がマンツーマン方式で個別指導に当たり、二五メートルを自泳できる生徒を対象とするDないしF班については九ないし一二名の生徒を二ないし五名の教諭が集団指導することとされていた。

2  敦は、右高等部一年生当時の水泳訓練では、ビート板やヘルパーを使用して浮けるようにすること等を目標として、ビート板を使用してバタ足の練習をしたり、ヘルパーを使用して水に浮く練習をしたりする等の指導を受けた。

その結果、敦は極度にプールに入ることを恐がっていたが、徐々に慣れてビート板やヘルパーを使用して自分から泳ぐことが見受けられるようになっていた。

そして、敦が右高等部二年生になった昭和六二年度の水泳訓練では、敦は右B班に属し、被告國原の個別指導を受けることになった。

3  本件事故の発生した四月一五日は昭和六二年度の水泳訓練の初日であり、高等部の生徒一〇六名中の八二名と教諭二七名が参加した。この日、当初個別指導の対象であるAないしC班の生徒については、午前一〇時からC班、B班、A班の順で二〇分ずつ交替に二回り水泳指導を行う予定であったが、実際に訓練を開始する時刻が一〇時三五分ころまで遅れたため、敦に対する一回目の指導は午前一〇時五〇分ころから行われた。

一回目の指導が始まる際、本件プールの中にいた被告國原は本件プールサイドに座っていた敦に対し本件プールに入るよう三回程声をかけたが、敦が応じなかったため一旦本件プールから出て、敦の手を引いて立ち上がらせ、本件プールの縁まで行った。ところが、敦がそこで立ち止まって動かなくなったため、被告國原は敦と正面から抱き合うようにして、立ったまま一緒に本件プールに入った。そして、被告國原は敦に本件プールの中を歩かせたり、正面から敦の両手を引いて水平に水に浮かせたりする訓練をした。ところが、敦は水に浮く訓練になると、背中を曲げて自転車をこぐような姿勢をとり、頻繁に床に足をついてしまうため、被告國原は敦の背中に二個、両足首に各三個の合計八個の円筒形ヘルパー(直径13.4センチメートル、高さ約7.8センチメートル)を装着した上、正面から敦の両手を引いて体を浮かせる訓練を続行した。敦はヘルパーを装着して訓練している際、本件プールの中にいた塩川教諭の海水パンツを掴んで立ち上がったり、他の生徒に掴まったりした。

4  敦に対する二回目の指導は午前一一時三〇分ころから行われたが、被告國原は右訓練に先立ち、敦の胸部に二個、両大腿部に各三個、両足首に各三個の合計一四個のヘルパーを装着した上、敦の両手を引いて立ち上がらせ、一回目と同様に敦と抱き合った格好で立ったまま本件プールに入った。その後、被告國原はまず一回目と同様に正面から敦の両手を引いてその体を浮かせる訓練を行ったが、一一時三五分ころまでにはうつ伏せに水に浮かせた敦の左側面に位置して、自己の右手を敦の背中に回し、左手でその腹部を支えて、敦を左側から横抱きにするような格好で南北方向に本件プールを往復する訓練を開始した。敦は当初胸部に装着されていたヘルパーに両手で掴まって首から上を水面上に出し、自転車をこぐような姿勢を続けていたが、胸部のヘルパーは敦が上体を支えるために下方へ押し下げたのが原因で次第に敦の背部へ回り、当初の呼吸確保の目的を果たさなくなってしまった。しかし、被告國原は敦の腹部を支えていた左手をやや胸部寄りにずらすことで呼吸確保の目的は達せられると考え、ヘルパーを元に戻すことなくそのままの状態で練習を継続した。敦は掴まるものがなくなり、ばしゃばしゃと水を叩いて上体を水面上に出そうとするとともに、大声を出して騒ぎ、途中で大西教諭や山蔭教諭の腕を掴むなどし、何度か床に足をついて立ち上がった。被告國原は敦が足をついて立ち上がったのでは水に浮く訓練にならないと考え、敦がつま先を床に近づけるのを見ると前進の速度を早くしてそのまま敦のつま先が床から離れるようにして立ち上がることを許さなかった。このため、敦は立ち上がって休息したり、呼吸を整えたりすることができなくなり、疲労が蓄積し、下半身に大量に装着されていたヘルパーの浮力に逆らって鼻口部を水面上に保ち続けることが困難になった。しかし被告國原は、敦に足をつかせないようにすることを重視するあまり、敦の下半身の状態のみに注目し、敦の呼吸が確保されているかどうかを確認しなかった。このような状況下で、敦は鼻口部が水没した状態で呼吸をし、呼吸器内に水を吸引して呼吸困難となり、痙攣を起こし、突然体を「く」の字形に折り曲げて上半身を水没させた状態で被告國原の左手にしがみつき、足をばたばたさせた後ぐったりとなった。被告國原はこの時点でようやく異常に気付いたものの、敦が痙攣している間は敦が被告國原の左手に強くしがみついていたため、敦の上体を水から出すことができず、敦がぐったりとなってからも、気が動転していたため早く敦を本件プールから上げなくてはと考えるのみで敦の気道確保等の措置をしないまま、敦を四、五メートル位離れた本件プールの端まで独力で運び、異常に気付いて駆けつけた大西教諭に手伝ってもらって本件プールサイドに上げた。敦は意識不明で顔色は青黒く、水を大量に飲んで腹が膨れ上がった状態であったが、被告國原は敦が突然体を痙攣させたことから、何らかの発作を起こしたのではないかと考え、当初は保温のためのマッサージにのみ専念し、人工呼吸等の措置をしなかったが、途中敦の口から水が溢れ出たため水に溺れたことが分かった。その後は白井教諭が呼んだ救急車が到着するまで、レオスイミングスクールの職員が人工呼吸を行ったり、山中教諭が心臓マッサージをしたり等していたが、敦は最後まで意識を回復せず、搬送先の神奈川県立厚木病院で午後七時一一分死亡した。

5  以上と異なり、原告らは「被告國原が水への恐怖感等で混乱状態に陥った敦の頭部を故意に水没させた。」旨主張するので、この点につき検討する。

(一) 本件において敦の頭部が水没していた状況を目撃しているのは証人山蔭安子のみであり、原告らは主として同女の証言を根拠に右主張をしている。山蔭はB班の二回目の訓練の際、敦を目撃した状況について、①最初に見た時、敦はわーわー騒いで手足をばたばた動かしており、近づいて見たところ自分の右腕を掴んだ、②次に振り返って見た時には、敦の顔が水についていて、手足をばたばたさせていた、③その後見た時には敦の頭が水に入っていて、足はぴーんと立っており、足首だけが水から出ていて動いていなかった、④また振り返ってみたら被告國原が右の格好のまま敦を本件プールサイドに上げていく所だった、の四つの段階に分けて供述しており、右③の状況が持続していた時間については「もう本当に、一瞬とかそういうんじゃなくて、私にとっては一定の時間というか、二、三分位あったんじゃないかと思います。」「全然そういう(瞬間ついたというような状況)のじゃなくて一定というか、二、三分くらいありました。」と供述している。

山蔭が目撃したとする右③の状況は、被告國原の捜査段階における供述(〈書証番号略〉)及び被告國原本人尋問の結果とも概ね合致しているけれども、右状況が二、三分間持続したとする点については、当時山蔭が癲癇発作の重い飯田順子の水泳を指導しており、山蔭自身指導に不安を感じていたこと(証人山蔭12丁表)、被告國原が敦を横抱きにした格好で指導した際の移動速度によれば、一分四〇秒で二五メートルを進むことができ(〈書証番号略〉)、飯田にヘルパーをつけて指導していた山蔭もそれと大差ない速度で移動していた筈であること(〈書証番号略〉)に照らしたやすく信用することはできない。その上、山蔭の「私にとっては…二、三分位あったんじゃないかと思います。」という右供述内容自体の曖昧な表現にみられるとおり、同女自身二、三分という時間に確信を持っている訳ではなく、右③の状況を目撃した際の同女の単なる主観的な印象としてそのように供述したにすぎないものと認められる(山蔭は、後に裁判官の補充尋問に対し、二、三分の間ずっと見ていた訳ではなく、受持ちの子供を歩かせていて、忘れた頃に見たりしていたので二、三分だと思う旨供述を変更しているけれども、当初二、三分との供述をした際には「一定の時間」という連続した観察を前提とする表現をしている上、その後の状況に関して、「また振り返って見たら」右④の状況だったと供述しているのであるから、右③の状況を目撃した機会は一回の筈であり、これらの点に照らすと右③の状況を二、三分の間に数回見た旨の右供述は信用できない。)。

そして、山蔭は右③の状況を見た際の印象について、「しごきというか、もぐる訓練をもうやらしちゃっているんだなという感じを持ちました。」と供述しているが、この供述は「つけていたというような感じ、」との誘導尋問に対する「はい。」との答えに続いて行われた「あなたのその感じだと、要するに水に顔をつけるというか、沈む、潜水する訓練をしているという印象を持ったということですか。」という極端な誘導尋問によって導き出されたもので、証拠価値が極めて乏しいものである。

(二) 原告らは、「敦が呼吸休止に至るためには、頭部が少なくとも三、四分は水没していなくてはならないから、敦が突然上体を水中に突っ込んで足をばたばたさせて、すぐにぐったりと力が抜けたような状態になったとする被告國原の供述(被告國原本人10回31丁裏)は信用できず、被告國原は故意に敦の頭部を水没させたものである。」旨主張する。

なるほど、一般に人が水中に転落した場合、水への転落後約一分間は呼吸を止めているが(前駆期)、その後一、二分の間に吸気性及び呼気性の呼吸困難となって呼吸器に水を吸引し、痙攣を起こして意識不明となり(呼吸困難期)、呼吸が停止する(呼吸休止期)という経過をたどることが認められるが(〈書証番号略〉)、これらの証拠は人が水中に転落した場合をモデルに解説したものであることがその内容から明らかである。しかしながら、溺死は全身が液体中に没する必要はなく、わずかな水溜りでも可能であることが認められるところ(〈書証番号略〉)、本件のように水泳訓練をしている場合には、必ずしも頭部全体が水没しなくとも、鼻口部が水面下になる状態が続くだけで呼吸困難となって呼吸器に水を吸入する可能性は十分にあるのであるから、敦の頭部が水没してからの時間のみを問題とする原告らの右主張はその前提を欠き、理由がない。

(三) また、原告らは、被告國原が故意に敦の頭部を水没させたことの根拠として、敦が本件プールサイドにおいて結局蘇生しなかったことを挙げているが、前記認定のとおり、被告國原は敦を本件プールサイドに上げるまでの間、その気道確保に留意しておらず、本件プールサイドにおいても、敦が何らかの発作を起こしたのではないかとの考えから当初マッサージのみを行っていたのであるから、敦が蘇生しなかったことは敦の頭部が前記(一)の山蔭供述における③の状態で水没していた時間の長短と関係を有しないものというべきであって、この点についても原告らの主張は理由がない。

(四) 他に被告國原が故意に敦の頭部を水没させたとの事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

四争点4(被告國原の過失内容)について

1 証拠(〈書証番号略〉)によれば、ヘルパーは過剰にならないように留意し、ひもを胴回りに密着させて縛るのが正しい使用方法で、クロール、平泳ぎ、バタフライ等うつ伏せの状態で行う練習の場合には、ヘルパーが背中にくるように装着すべきであることが認められる。

従って、被告國原には右のような正しい数量及び方法でヘルパーを装着し、安全な水泳指導を行うべき注意義務があったと言うべきである。この点に関し、被告らは、被告國原が行ったようなヘルパーの装着方法及び練習方法は伊勢原養護学校において既に一定の実績を上げて広く行われてきたものであり、これまで事故もなかった旨主張しており、それに沿う証拠も存在するが(〈書証番号略〉)、右学校内で広く行われていたからといって右のような練習方法が危険であることを予見し得ないわけではないのであるから、この点は被告國原の注意義務を軽減するものではない。

2 次に、本件事故当時被告國原が行ったようなヘルパーの装着方法をとった場合、下半身が浮き上がるため上半身が沈んで鼻口部が水没し、敦が水を吸引する危険性が大きくなること(〈書証番号略〉)は当然予見可能であるから、被告國原としては常時敦の呼吸状態に注意しつつ、無理のない限度で練習を行うべき注意義務があったものと認められる。

3 さらに、呼吸が停止した場合でも適切な蘇生措置を施せば溺死後一〇分以内なら蘇生の可能性があること(〈書証番号略〉)、被告國原は昭和六一年六月二六日に伊勢原養護学校の教職員を対象に行われた水泳指導時における救急処置に関する伊勢原消防署職員の講義を受けていたこと(〈書証番号略〉)が認められるから、被告國原には敦が痙攣を起こした後、直ちに敦の気道を確保し、必要があれば他の教諭の助けを求めて直ちに人工呼吸、心臓マッサージ等の適切な蘇生措置を講じるべき注意義務もあったと言うべきである。

4 しかるに、被告國原は二回目の水泳訓練に当たり、右1ないし3認定の注意義務を怠り、敦の足首、大腿部等に一四個ものヘルパーを装置した上、敦が床に足をつかないようにすることを重視するあまり、敦の呼吸状態に留意しなかったばかりでなく、敦が痙攣を起こした後も直ちに適切な蘇生措置を講じなかったものである。

5 従って、本件事故は被告國原教諭の右過失によって発生したものであるから、被告県は、国家賠償法一条に基づき、原告らの損害を賠償すべき責任がある。

五争点5(損害の発生と数額)について

1  逸失利益

一般に、不法行為により死亡した年少者の逸失利益については、あらゆる証拠資料に基づき、経験則等に照らしてできうる限り蓋然性のある額を算出するのが相当である。

これを本件についてみるに、敦が自閉症で、本件事故当時満一六歳であったことは当事者間に争いがなく、証拠(〈書証番号略〉、証人篁一誠)によれば、原告らは敦が伊勢原養護学校に入学した当時、卒業後の敦の進路として地域作業所へ入所させることを希望し、その旨主治医である篁にも話していたこと、原告田中ヒロ子は、警察官に対する供述調書中で「将来敦に特に何をさせようという考えは持っておらず、好きなことをさせようと思っている」旨述べていること、敦には授業中突然席を離れて教室の外へ出ていく等の行動が見られたほか、時に自傷行為に及んだり、混乱状態に陥って奇声を発して飛び跳ねたりすることもあり、昭和五七年におけるIQは五五であったこと、昭和六二年度の伊勢原養護学校の卒業生三六名中、地域作業所に入所した者は一二名であること、神奈川県立の精神薄弱養護学校高等部の昭和六〇年度から昭和六二年度までの卒業生の進路状況については、地域作業所に入所した者の割合が一番高くて三三パーセント前後であるのに対し、一般企業への就職者の割合は二五パーセント程度であること及び自閉症児が将来健常児と同様の就職をする割合は二〇パーセント未満であることが認められる。以上の事実によれば、敦の卒業後の進路としては、地域作業所に進む蓋然性が最も高いと認められるから、敦の死亡による逸失利益の算定に当たっては右作業所入所者の平均収入を基礎とすべきである。原告らは敦が調理師になる希望を有していた旨主張し、証人篁一誠の証言及び原告田中ヒロ子本人尋問の結果によれば、敦及び原告らが希望としてはそのような考えも有していたことが認められるが、右認定の事実に照らし、逸失利益算定の基礎としては右主張は到底採用することができない。

そして、神奈川県内の地域作業所における障害者一人当たりの年間平均工賃は、昭和六〇年度において七万二八八六円であったことが認められるから(〈書証番号略〉)、右金額を前提とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して敦の一八歳から六七歳までの逸失利益の本件事故当時の現価を求めると、一二〇万一一六一円となる。

72,886×16.480=1,201,161(一円未満切捨て)

2  原告らが日本体育・学校健康センターから災害共済給付金(死亡見舞金)として一四〇〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、証拠(〈書証番号略〉)によれば、日本体育・学校健康センター法に基づく災害共済給付については、神奈川県に損害賠償責任が発生した場合、災害共済給付と同一の事由により発生した損害賠償責任については交付された災害共済給付金の範囲で県が免責される旨の同法に基づく特約が存在することが認められるところ、災害共済給付金(死亡見舞金)と損害賠償とが同一の事由の関係にあることを肯定できるのは、財産的損害のうちの消極損害(いわゆる逸失利益)に限られるというべきである。

従って、被告県は、右1の逸失利益一二〇万一一六一円の限度で損害賠償責任を免れる。

3  慰謝料

本件事故の態様、とりわけ本件事故が被告國原の重過失によって発生したこと、敦の逸失利益の算定額及び敦が原告らの唯一の子であること等諸般の事情を考慮すると、敦について一五〇〇万円、原告らについてそれぞれ五〇〇万円と算定するのが相当である。

4  葬祭費

証拠(〈書証番号略〉)によれば、原告らは敦の葬祭費として二六九万七五〇〇円を支出したことが認められるが、敦の年齢等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係に立つ葬祭費は一〇〇万円と算定するのが相当である。

5  弁護士費用

原告らが本訴の提起、追行を本件訴訟代理人に委任したことは、本件記録上明らかであるところ、本件訴訟の審理経過、事件の難易、認容額等を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、合計二六〇万円と算定するのが相当である。

(裁判長裁判官北山元章 裁判官大熊一之 裁判官橋本都月)

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